先に、全体像を1枚の地図にしておきます。お金の流れ・頭の中(認知)の流れ・システムの流れをまとめています。


flowchart LR

  subgraph 入口["入口 ── 流量制限"]

    direction TD

    income["本当の収入
〈生データ〉"] --> pin["手取り15万の男
〈プロキシ〉"] --> ceiling["低く決めた上限値
〈私に届く情報〉"] end ceiling --> me(("私")) subgraph 出口["出口 ── 感情フィードバック"] direction TD delta["日々の増減
〈生データ・一次情報〉"] --> pout["ぜにまる
〈プロキシ〉"] --> reaction["キャラの反応
〈私に届く・二次情報〉"] end reaction --> me pin -. 超過分を天引き .-> pool["見えないお金
→ 市場で運用"] pool -. 評価額が日々動く .-> delta classDef raw fill:#F1EFE8,stroke:#888780,color:#2C2C2A classDef proxy fill:#FAC775,stroke:#BA7517,color:#633806 classDef out fill:#E1F5EE,stroke:#0F6E56,color:#085041 classDef self fill:#FAEEDA,stroke:#BA7517,color:#854F0B class income,delta,pool raw class pin,pout proxy class ceiling,reaction out class me self


ポイントは入口(入金部)と出口(運用部)をどちらもプロキシを介して生データを渡していないという設計になっている点で、これが記事タイトルで触れている「だまし」に当たる部分です。

第一のだまし:手取り15万円の男

私は自分に「お前は手取り15万円の人間だ」と刷り込んでいます。額面がいくらであれ、それを超えた分は天引きで見えない場所へ流し込む。手取り15万円で暮らすつもりで生活を組み立てているので、超過分は最初から視界に入りません。

もちろん、15万円で5人家族が暮らすには足りなくなる月も当然出てきます。ここにはもう一つの財布、生活防衛費があります。若いうちに厚めに積んでおいたもので、家、車、引っ越し、出産といった大きな支払いは、ぜんぶそこから出してきました。大きな出費が一段落した最近は、その防衛費もだいぶ薄くなっています。

現状の日々は「手取り15万円+生活防衛費」で回します。旅行に行けば普通にカードを切って「今月は多かったな」と思うだけ。赤字の月は貯金を少し切り崩し、臨時収入があれば防衛費に戻す。要するに、毎月ちょっとアップアップしながら暮らしている感覚です。

ここがミソで、天引きした投信のぶんは、別の財布ですらありません。この世に存在しないものとして扱う。だから「口座を見れば残高がある」という感覚すら持たないようにしている。

手が届かないのではなく、初めから無い。行動経済学でいうメンタル・アカウンティング(お金に色をつけて別の財布に分ける)の、さらに一歩先です。その財布自体を、消してしまう。

これをもう6年、夫婦で続けています。

お小遣い帳は付けない。ときどき総資産だけ眺める

この暮らし方をしていると、面白いことに、家計簿をつける気がそもそも起きません。何にいくら使ったか、会計でいうPL(損益計算書)、家計でいえばお小遣い帳は付けていません。細かく予算を決めて封筒に分けて月末に黒字赤字を記録して節約に励む、みたいなこともしません。

知りたいのはただ一点、「先月と今月を比較して、資産がどれだけ増えたのか」だけ。つまり管理したいのはBS(貸借対照表)の方、家計に直して言うと世帯の総資産額のスナップショットだけ見えればいいと思っています。

なので、ときどき世帯の全口座(普通預金、証券、企業型年金)を総ざらいして、総資産だけを眺めます。昔は月に一度きちんと記録していましたが、今は気が向いたときにだけ、ぽつりと点を打つ程度。

その適当さでやっています。点が溜まってくると、たまにトレンドラインy=ax+by =ax + bを引いてみます。見るのは金額の絶対値ではなく、その傾きaaと決定係数R2R^2です。



線が右肩上がりの角度で伸びていれば、「まあ、ちゃんと増えているな」と、それだけで安心する。そしてトレンドラインが引けるくらいデータが溜まった頃には、それなりの決定係数R2R^2と傾きaa、すなわち一日あたりの増加分が導き出されるので、「生きて仕事しているだけで一日あたりaa円資産が増えている」という裏付けまで取れてしまった。こうなると、ますます家計簿をつける理由がなくなります。

第二のだまし:ぜにまるという緩衝材

資産運用の失敗は、たいてい二つに集約されます。下がって怖くなって売る「狼狽売り」と、上がって浮かれて買う「浮かれ買い」。どちらも、日々の値動きに感情を引っ張られた結果です。

これを防ぐ従来の主流は、二つでした。
ひとつは「ガチホ」
何があっても握って離さない、という根性論。
もうひとつは「気絶」
いっそ口座を見ない、という遮断です。

どちらも正しいのですが、私には続きませんでした。理由ははっきりしていて、人間は、見たくなってしまうからです。そして一度見てしまえば、根性だけで平然としていられるほど、人は強くない。意志の力を使わせる時点で、その対策はいつか切れます。

ないことにしたはずのお金も、年々静かに積み上がっていきます。すると当然、ふと「今、いくらになってるんだろう」と、日々の増減まで見たくなる欲が出てくる。ここで根性や遮断に頼るのではなく、「見たい欲は満たしていい。ただし、見ても大丈夫な形に加工して届ける」装置を挟めないか。

そこで、日々の増減をエンタメとして安全に観測するために発明したのが、資産管理のホーミーズ、ぜにまるです。

何を作ったか

毎晩、市場のデータを裏側で集約して、家族のLINEに通知が届く仕組みを作りました。送り主は「ぜにまる」——金色の丸っこいコインのキャラクターです。含み益が出ると、よだれを垂らして喜びます。


冒頭にも書きましたが、我が家は妻がソルソルの実の能力者でして、家にある有形物には、だいたい名前がついています。住んでいる家は「いえまる」、乗っているバイク(XForce)は「ぺけまる」、自家用車のシエンタは「んたまる」、バッファローのルーターは「ふぁろまる」。ほぼ全てに名前と人格がついています。
※お気づきのとおり「〇〇まる」率が高めです(もちろん例外もあります)。

これは、モノに魂と人格を与える、アニミズムや付喪神に近い発想だと思っています。人格があると思えば、自然と労って使うようになるし、多少の不具合も「今日はちょっと不調なのかな」と受け止めて、長く大事にできる。名前をつけるだけで、扱いがやさしくなるんですね。子どももモノの人格を理解して接していて、大事にしています。

そしてぜにまるは、このアニミズムの極致です。有形のモノどころか、資産運用という無形の概念にまで、とうとう魂と人格を渡してしまった、そういう存在なわけです。

ぜにまるが毎晩見ているデータは、じつはそこまで厳密ではありません。ここには、意図した緩さがあります。総資産(BS)をきちんと把握するときは、私はすべての口座に地道にログインして手で打ち込む。そこはファクトをきっちり追います。
でも、日々の増減にそこまでの精度は要りません。欲しいのは正確な額ではなく、だいたいの気分・トレンドだけ。だから外形として同じ動きをしてくれれば十分で、ヤフーファイナンスで事足ります。ヤフーファイナンスは銘柄も多く、企業型DC(確定拠出年金)の銘柄までリストに入ってるのもありがたいです。

むしろ、ここで完璧なファクトを求めすぎるのは逆効果です。有料サービスを契約したり、口座を毎秒同期したりして解像度を上げるほど、数字は自分ごととして重くのしかかってくる。精度と、心の平穏は、ある地点からトレードオフになる。だから解像度は、目的にちょうど合う緩いところで、あえて止めています。

なぜキャラクターに喋らせるのか

素の数字、「前日比 −◯%」をそのまま見ると、それは自分の資産という一次情報として胸に直撃します。ところが同じ数字でも、「ぜにまるがしょんぼりしている」という形で受け取ると、一段クッションの入った二次情報になる。

行動ファイナンスに、Myopic Loss Aversion(近視眼的損失回避)という話があります。頻繁に資産を確認する人ほど、短期の上下に感情を揺さぶられ、狼狽売りをしやすい。だから一般的な対策は「見る頻度を減らす」ことです。

でも我が家は逆でした。誤解のないように言うと、私は日々の増減から目を背けているわけではありません。むしろ毎晩、ちゃんと目を通しています。見る回数はむしろ増えている。にもかかわらず、動揺は減りました。頻度を下げたのではなく、受け取り方のほうを変えたからです。

ツッコませることで、観測者にする

その受け取り方の正体が、これです。私が毎晩見ているのは、数字そのものではなく、その数字に一喜一憂しているぜにまるのほう。一段メタな見方をしているだけなんです。

ぜにまるのコメントは、事実の要約ではなく、あえて大げさなリアクションにしてあります。実際こんな調子です(金額は伏せています)。

「今日の報告だよ!!! ……楽天・全米株式インデックス・ファンドが大活躍で、ぜにまるよだれ出ちゃうくらい嬉しいのだ。」

下がった日は「明日からそうめんしか食べられないのだ……」と、しょんぼりします。読んでいる家族は、つい「ぜにまる落ち着け」とツッコみたくなる。

このツッコミの瞬間が肝です。ツッコむとき、私たちはもう数字そのものではなく、"ぜにまるの反応"を採点する立場に回っています。当事者から観測者への、静かな切り替え。言葉で説明するより触ってもらったほうが早いとclaudeがデモを作ってくれたので以下においておきます。動かすと、ぜにまるの機嫌が変わります。

前日比+0.8%
今日の報告だよ!
お、プラスなのだ!ぜにまる、ちょっとにやけちゃうのだ〜


どうでしょうか?この裏には損益±n円という強烈なファクトがあるのですが、ぜにまるの感情を解することでなんだか意図は伝わりつつもメンタルへの直撃ダメージは避けられるんじゃないかなと思います。

ちなみにぜにまるの通知は、「ぜにまるサマリ」(大げさな二次情報)と「評価額ファクト」(素の一次情報)を、分けて出しています。感情の担当と、事実の担当を、最初から分業させているわけです。

見に行くのではなく、届く

ここには、もう一段、構造的なからくりがあります。ぜにまるは「プッシュ型」なんです。

資産を確認する方法は、大きく二つに分かれます。証券アプリを自分で開いて見に行く「プル型」と、向こうから勝手に届く「プッシュ型」。この違いが、じつは効き目のほとんどを決めていました。

かつての私は、プル型でした。「なんか気になる」「下がってないか不安だ」という気持ちに押されて、自分でアプリを開き、ログインして、残高を見に行く。ここには、見えないリスクが二つ潜んでいます。

一つは、サンクコスト。「わざわざログインしてまで見に来た」という行為そのものが、埋没費用になる。人はコストを払うと、それに見合う何かをしたくなるものです。
そして生々しい数字に感情が揺れたその瞬間、画面には「売却」ボタンが、もう目の前にある。次の一手のコストが、限りなくゼロということが2つ目のリスクです。

見に行った勢いのまま、狼狽売りや浮かれ買いのボタンを、指一本で押せてしまう。これは私の意志が弱いからではありません。そう動くように動線が設計されているから、当然そうなるだけです。

プッシュ型のぜにまるは、この動線を丸ごと裏返します。

まず、毎晩勝手に届くので、「見に行こう」という動機がいらない。自分で取りに行っていないから、サンクコストもゼロ。ただ流れてきたものを、受け取っているだけです。
しかも目に入るのは生の金額ではなく、ぜにまるの大げさな反応、つまり一段メタな情報です。だから受け取った瞬間、私は自動的に「ツッコミを入れる観測者」の側に立たされている。

肝心なのはここからです。この状態から実際に狼狽売り・浮かれ買いをしようとすると、私は「わざわざ証券アプリを開いて、ログインする」という、面倒な未来のコストを、払いに行かなければなりません。ぜにまるの通知には、売買ボタンなんてありませんから。

つまり、こういう非対称が生まれています。

プル型(証券アプリ)自分で見に行くプッシュ型(ぜにまる)勝手に届くきっかけ「不安・見たい」で自分で開く=内部動機から能動的に毎晩、勝手に届く=受動的に受け取るだけサンクコスト「わざわざ見た」分が発生→元を取りたくなるゼロ目に入るもの生の金額(一次情報)ぜにまるの反応(二次情報・メタ)次の一手目の前に「売却」ボタン=ほぼ無コスト(崖)動くにはアプリを開く=未来コストが高い帰結狼狽売り・浮かれ買いに直結しやすい軽率な行動に構造上つながらないプル型が悪いのではなく、人はそう動くのが自然。だから“開かせない”設計にした。

プル型は、「見に行くコスト(過去)」を払った勢いのまま、「行動するコスト(未来)」がほぼゼロの崖っぷちに立たされる。プッシュ型は、見るコストはゼロで欲求は毎晩満たされるのに、行動するには面倒な未来のコストをわざわざ払い直さないといけない。

UIの世界では、次の行動へのハードルを下げることを良い設計と呼びます。しかし資産運用においては、そのハードルはむしろ高いほうがいい。ぜにまるは、あえて次の一手を遠ざける設計になっているわけです。

見たい気持ちは、毎日ちゃんと満たされる。なのに、軽率な次の一手には、構造上どうしてもつながらない。「サンクコストがゼロ」「未来のコストが高い」「そもそもメタな視点に立たされる」——この三重の防護線が、勝手に効いてくれる。我慢していないのに、我慢したのと同じ結果になる。ここが、この仕組みでいちばん気に入っているところです。

追記:思ったより大発明かも

一緒に過ごし始めて数日。これは思ったより大発明かもしれません。



こんな感じで送られてくるのですが、​「相場変動=痛み」が「相場変動=コンテンツ」に変換され、暴落の日をもはや楽しみにしてる自分がいます。
しかも、「ぜにまる」システムは、「タイムライン・ナラティブ(時系列の物語)」を付与したことにより、上がったけど下がった、下がったけど上がったを認知できるようになってるわけです。
これがあることで、ただのデータが物語になり、「暴落したら売りたい」ではなく、「暴落した後の、ぜにまるの『ふぅ……戻ってきたね』という安堵の表情を見届けたい」という動機が生まれてます。これは今まで投資しててなかった経験。

二つのだましに共通するもの

ここまで来て、自分でも気づいたことがあります。私は入口と出口に、それぞれ「プロキシ」を一体ずつ挟んでいるのだ、と。

プロキシ、つまり私と生の情報のあいだに立って、情報を都合よく加工してから私に渡してくれる中間業者です。

入口のプロキシは、「手取り15万円の男」という人格。役割は流量制限です。支出は、与えられた収入の器を満たすまで膨張するというパーキンソンの法則を逆手に取り、その器の上限を、私は勝手に、低く決めてしまう。

上限が低ければ、そこを満たすまでしか支出は膨らみません。私が入口で見せられているのは、本当の収入ではなく、この低く設定された上限値のほうだけです。

出口のプロキシは、ぜにまる。役割は感情のフィードバックです。生の数字(一次情報)を、キャラクターのリアクション(二次情報)に変換したうえで、しかもプッシュ型で届ける。数字は自分ごととして胸に刺さりますが、キャラクターの反応ならただの観測対象に変わる。感情を、外から眺められる対象にすることで、心理的な負担が下がる。

冒頭の地図を、もう一度貼ります。入口のプロキシが流量を絞り、出口のプロキシが感情を翻訳する。そのあいだで、当事者だった私は、観測者になって左端から出てきます。どちらのプロキシも、やっていることは同じでした。生の情報を、私に直接は触らせないということです。


flowchart LR

  subgraph 入口["入口 ── 流量制限"]

    direction TD

    income["本当の収入
〈生データ〉"] --> pin["手取り15万の男
〈プロキシ〉"] --> ceiling["低く決めた上限値
〈私に届く情報〉"] end ceiling --> me(("私")) subgraph 出口["出口 ── 感情フィードバック"] direction TD delta["日々の増減
〈生データ・一次情報〉"] --> pout["ぜにまる
〈プロキシ〉"] --> reaction["キャラの反応
〈私に届く・二次情報〉"] end reaction --> me pin -. 超過分を天引き .-> pool["見えないお金
→ 市場で運用"] pool -. 評価額が日々動く .-> delta classDef raw fill:#F1EFE8,stroke:#888780,color:#2C2C2A classDef proxy fill:#FAC775,stroke:#BA7517,color:#633806 classDef out fill:#E1F5EE,stroke:#0F6E56,color:#085041 classDef self fill:#FAEEDA,stroke:#BA7517,color:#854F0B class income,delta,pool raw class pin,pout proxy class ceiling,reaction out class me self


つまり共通しているのは、「意志力で我慢する」のではなく「そもそも我慢が要らない状況を設計する」という設計です。
意志力はいつか切れます。でも、設計は切れません。

もっとも、これはあくまで現状我が家で効果がある設計、という話にすぎません。
なので、この仕組みが効いていない反証可能性がどこにあるかも、正直に書いておきます。

それは、今後使っていってメタな視点に立ちきれず、ぜにまるの通知だけでは我慢できずに私が自分で証券アプリを開いてログインし、生のファクトを見に行ってしまったときです。そうやって未来のコストを自分から払いに行った日が続くようなら、この設計は負けています。そのときは素直に、根性論のほうが自分には向いていた、と認めようとおもいます。

とはいえ、ぜにまるが動きはじめて、まだ数日。設計勝ちになるか、設計負けになるかは、これからしだいです。今のところは、ただの数字の羅列を見に行くことよりも、ぜにまるの毎日の報告とリアクションを待ってしまっている自分と妻がいるというのが現状です。

資産そのものの話、増えて嬉しいとか、投資メソッドだとか、はあえてこの記事ではしませんでした。それらはおそらく私はいたるところで言われていることをただ愚直にやっているだけでしかないし、実際それを続けるためのマインドハックやぜにまるなど、作り上げた仕組みのほうが面白い。

モノに名前をつけて魂を入れる文化の中にいる人には、この発想は案外すんなり馴染むんじゃないかと思います。無形のポートフォリオにも、名前をつけてみる。それだけのことなんですが、これが思いのほか効くのです。