「三人のレンガ職人」の寓話はアップデートできると思う

2026年5月14日(木) 6時40分18秒 | 28 view |

ビジネス界隈でよくつかわれる「三人のレンガ職人」の寓話がある。

「3人のレンガ職人」
ある旅人がレンガを積んでいる三人の職人に「何をしているのか」と尋ねました。最初の職人は「レンガを積んでいるだけだ」と答え、作業としての意識しか持っていませんでした。二人目は「家族を養うために働いている」と答え、生活のための前向きな意識を持っています。三人目は「私は大聖堂を建てているんだ!」と目を輝かせて答え、仕事に使命感とビジョンを持って取り組んでいました


これはつまるところ、同じ作業でも目的意識や視点によってモチベーションや成果が大きく変わることを示しており、仕事に取り組むときは、目的意識や目標をもって取りくみパフォーマンスを高めることが大事であることを説いている。

この発想はビジネスマンにおいて持つべきマインドセットであり、ただこれをやる(Do)だけでなく、なぜこの仕事をやるのか(Why)の深度を高めていこうという話だととらえられる。

問題提起:How領域の画一性


一方で、この話はWhyの深度にのみ言及しており、How(どうレンガを積むか)については三者がいずれも画一的である。

これまでの自分のモチベーションにおいて、Whyの深度意識(なぜ積むか)よりもHow領域(どう積むか)の方に強い興味があり、意識して活動してきた背景がある。
そんなことを考えていた時に、「三人のレンガ職人」の寓話って、WhyだけじゃなくHowの話も入れるともっと現代的になるんじゃないか、と思い始めた。

スーパーマーケットのアルバイトでの原体験

私にとっての原体験はスーパーのエンド棚だった。

大学時代にスーパーのグロサリーの品出しバイトの経験が2年ほどある。
私が当時働いていた店舗は日本全国160店舗中第3位くらいの売り上げを誇る超大型店で、土日平日問わず客入り・販売量がとんでもなくあった。それに応じて、本部からも要請が入り、特売品もしょっちゅう変わるような店舗だった。
スーパーのグロサリー陳列には大きく分けて、常に売り場が固定されていて列になって配置されているレギュラー陳列とレギュラー陳列の端にあり客の回遊導線から視認性が高いエンド陳列の二種類がある。
エンド陳列はその時々の特売品に応じて並ぶ商品がごま油、中華調味料、片栗粉、めんつゆなどなど、、、数量も形状も変わり、多い時で週に2,3回商品が入れ替わるような店舗だった。


最初はレギュラー棚の前進(奥まった商品を前に寄せていく)から始まり、レギュラー品だし、エンド品出し、とどんどん役割が増えていき、バイト2年目になる頃には本部から降りてきた今回の特売品に従って、エンドを用意し適切な個数を発注し最終的にエンド陳列棚を組み立てるところまで任されるようになっていた。

当時私はこの仕事を大変楽しみながらやっていた記憶がある。



当時のツイートにも書かれているように、エンド棚は私にとってのキャンバスだった。つまり、楽しんでいた背景として、Why(なぜこの特売品を販売するのか)ではなくHow(どう特売品を売り場に積むのか)のみを考えていたわけである。

エンド陳列は、商品をただ積んで並べて終わりというほど単純なものではない。
そこにはキャンバスとして、どう置いたら映えるか(意匠性)だけでなく、

  • 商品がとりやすいか(機能性)
  • 取られたときに崩れずらいか(耐障害性)
  • バックヤードではなくエンドに商品が多く出ている状態にでき、補充コストを下げれるか(効率性)
  • 商品在庫が減ってきたときにスケールダウンして次の特売商品と共存できるか(拡張性・縮小性)


といった複数の要素を形状も価格も需要も違う商品で週に何回も設計する楽しさがあった。

これらはすべて満たす完璧な陳列など存在せず、映えを重視したらバックヤードの商品在庫数が減らず、量を出すようにしたら商品がとられたときに崩落する危険性が増すなど、すべてがトレードオフの関係で状況に応じてプライオリティを決めながら実行する必要があり、やってみると非常に奥が深い仕事であった。

今振り返ると、私は単に頼まれた商品を並べていたわけではなかったのだと思う。

エンド棚を、

  • 空間
  • 時間
  • 人流
  • 体験
  • 在庫変動
  • 作業導線
  • 視線誘導
  • オペレーションコスト


などが交差する動的システムとして見ていた。
そして、同じ「めんつゆを積む」でも、どう積むかによって棚の体験も、運用も、未来の状態も全然変わることが面白かった。

HowがWhyになっていた

面白いのは、当時の私にとって楽しんでいた本質は全て「How」の話だったということである。別に「世界を変えたい」と思っていたわけではないし、大聖堂を建てている感覚もなかった。ただ、「どう積むか」が異常に難易度が高く、結果も出て楽しかった。
つまり、HowがWhy化していたのである。

ビジネスの世界では
Why = 目的
How = 手段
として一般的には整理される。

だが、創造性が強い人ほど途中からHowそのものに執着し始める気がしている。

料理人が火入れに異常なこだわりを持つように、建築家が導線設計に人生を賭けるように、ゲーム開発者がUIアニメーションの気持ちよさを延々調整するように、Howそのものがその人の世界観や美学になっていく。コンサルの世界に入ったときにHow先行の思考から切り離され、Whyを突き詰める重要性についてインプットしたが、やはりクリエイター気質な人ほどHowにこだわってしまう節はあると思うし、自分自身もやはりHowにこだわってしまう気質なのだと思う。

ただ、Why か Howか どちらが重要か という二元論で片づけてしまうのがきっとナンセンスなのであって、おそらくWhyの深度 x Howの多次元整理が重要なのではないかと考えた
すなわち、レンガ職人の寓話に足りなかったのはこの部分だった。

仕事というのは、「なぜ積むか」という目的意識だけで成立するわけではなく、「どう積むか」をその時々の状況に応じて優先順位を変えながら組み替えていくことで、初めて良いアウトプットになるのだと思う。映えを優先するのか、運用性を優先するのか、拡張性を優先するのか。そういった複数のHowを、その場その場でどう意思決定するか。そこにその人らしさが出る。

そして、この「Howの優先順位づけ」こそが、おそらく設計思想と呼ばれるものなのだと思う。

AI時代、Doは民主化される

そしてこの感覚は、AI時代に入ってより重要になると思っている。生成AIによって、「作る」(Do)という行為の民主化が急速に進んでいる。
文章を書く、画像を作る、動画を作る、コードを書く、企画を考える。以前であれば専門技能として習得コストが高かったものが、現在では誰でも一定水準までは到達できるようになった。

これはつまり、「作る」Doのコモディティ化が起きているということだと思う。
今後は、作れること自体は前提条件になり、総クリエイター社会という言葉がかなり現実味を帯びてきている。

もちろん継続してWhyが重要であるのも不変である。何のためにやるのか、どんな世界を目指したいのか、どんな課題を解決したいのかという視座は引き続き大切である。一方で、この「Whyを持つべき」という思想自体は、ここ数十年のビジネス書やマネジメント論の中で繰り返し語られてきたものであり、現代のビジネスマンにとってはある種のOSのようなものになっており、単に言われたことをやるのではなく、自分なりの目的意識や意味づけを持って働くべきである、という価値観はすでに広く浸透している。

つまりWhyを持つこと自体は、もはや特別な差別化要素ではなく、「当然備えているべき前提条件」に近づいているのだと思う。

AI時代の差別化は「Howの多次元化」なのではないか

だからこそこれからは、「どんな設計思想で、どうAIを活用して作るのか」というHowの設計がより重要になる。

ただし、ここでいうHowは単なるテクニック論ではない。状況を見ながら、優先順位を変え、試し、修正し、その時々で最適なバランスを探していくような、もっと動的で有機的なものである。
エンド棚で考えていたような、多変数のトレードオフ設計など、実際には無数の軸が存在し、それらをすべて叶える設計は存在しないトレードオフな要素である。ビジネスに置き換えると、同じ「社会を良くしたい」というWhyを持っていたとしても、

  • 効率性を重視するのか
  • 美しさを重視するのか
  • レジリエンスを重視するのか
  • 拡張性を重視するのか
  • 他者参加性を重視するのか

によって、アウトプットは全く別物になる。
個人的には、この「Howの多次元化と優先順位=設計思想」こそがAI時代のクリエイティブの本質なのではないかと感じている。

AI時代、Howは「設計思想」へと上流化する

昔のHowは「技能」だったと思う。
しかし現代においては、AIによってDo(実行する)が人から置き換わったことにより、「何を優先順位としてどう作るか」の比重が重くなった。すなわち、Howはより上流の設計思想レイヤーに置き換わった。

どの変数を重要とみなすか。どの制約を美しいと感じるか。何を優先し、何を捨てるか。
そこにその人らしさが宿る。

AIは局所最適化が非常に得意であり、最短手順、高速生成、大量試行、効率化などは今後ますますAIが人間を上回っていくだろう。しかし、「どの変数を重要とみなすか」という価値判断は、依然として人間がジャッジし続けなければならない。

エンド棚でも、効率性を最優先する人もいれば、美しさを優先する人もいる。補充のしやすさを重視する人もいれば、驚きや体験を優先して、多少オペレーション負荷が増えることを許容する人もいる。そこに絶対的な正解は存在せず、「どんな思想で設計するか」が結果を左右しうる。

AI時代のレンガ積み

  • Whyの深度
  • Howの多次元化
  • AIによるDoの高速化

この三つの掛け算が重要になるという前提のもと、寓話に登場する新たなレンガ職人のモチベーションとしては
「私は大聖堂を建てるために、未来永劫ずっと残るような堅牢で美しい建築にするという設計思想に基づいて、テクノロジーを活用してレンガを積んでいるんだ」
という状態になるのだと思う。

AIによってレンガを積む速度そのものは誰でも上がる。だからこそ、「なぜ積むのか」「どう積むのか」「何を美しいと感じるのか」が、その人固有の創造性になる。
AIによってDoは加速する。だからこそ、人間側には「何を目指すか」だけでなく、「どんな思想でそれを作るか」がより強く問われるようになる。

これからの時代は、全員がその「設計思想」を問われる時代なのだと思う。