以前、キャリアの話として「市場価値」について書きました。あれとはまた別の角度の、時間をさかのぼる話です。
最近なんとなく見えてきた「市場価値」の正体
家系図を描いてみた
理屈をこねる前に、まず描いた図を載せます。
flowchart TD
subgraph ORG_CANON["組織:Canon"]
AB_CA(["Adam Billyard"])
LK_CA(["David Lau-Kee"])
SH_CA(["白井暁彦
(1998入社)"])
VPL[["VPL:宣言的ビジュアル
プログラミング系(1991)"]]
LK_CA -->|開発| VPL
AB_CA -->|開発| VPL
end
subgraph ORG_CRIT["組織:Criterion Software(1993)"]
LK_CR(["David Lau-Kee
CEO"])
AB_CR(["Adam Billyard
CTO"])
WILL_CR(["Will Eastcott
Head of Consultancy"])
SH_CR(["白井暁彦
ゲーム開発コンサルタント
(普及開発/2000〜)"])
RW[["RenderWare
PS2世代の覇者・約500本"]]
AB_CR -->|開発| RW
WILL_CR -->|開発| RW
SH_CR -->|普及開発| RW
WILL_CR ---|同僚| SH_CR
end
LK_CA -->|創業| LK_CR
AB_CA -->|創業| AB_CR
SH_CA -->|出向| SH_CR
EV_EA{{"EAが買収(2004・約$48M)"}}
RW --> EV_EA
EV_WD{{"RenderWare 市場撤退
→社内で残骸化"}}
EV_EA --> EV_WD
subgraph ORG_PC["組織:PlayCanvas(2011)"]
WILL_PC(["Will Eastcott
共同創業・CEO"])
PC[["PlayCanvas エンジン
WebGL/Splat"]]
WILL_PC -->|開発| PC
end
WILL_CR -->|創業| WILL_PC
EV_SNAP{{"Snapが買収"}}
PC --> EV_SNAP
subgraph ORG_LVP["組織:London Venture Partners"]
LK_LVP(["David Lau-Kee
General Partner"])
end
LK_CR -->|創業| LK_LVP
subgraph ORG_UNITY["組織:Unity"]
UNITY[["Unity エンジン"]]
end
LK_LVP -.->|出資・2009参画| UNITY
subgraph ORG_KAIT["組織:神奈川工科大学 白井研究室"]
SH_KA(["白井暁彦
准教授(2010〜)"])
TE_KA[["エンタテイメントシステム
工学"]]
UT_KA(["津田良太郎
学生"])
SH_KA -->|師弟| UT_KA
SH_KA -->|研究テーマ| TE_KA
end
SH_CR -->|帰任・転身| SH_KA
subgraph ORG_GMO["組織:GMO/PlayCanvas運営事務局"]
UT_GMO(["津田良太郎
日本ディレクター"])
PC_GMO[["PlayCanvas(日本再販)"]]
UT_GMO -->|日本で販売| PC_GMO
end
UT_KA -->|新卒入社| UT_GMO
EV_RESELL{{"再販契約(日本独占)"}}
PC --> EV_RESELL
EV_RESELL --> PC_GMO
WILL_PC <-->|ビジネスパートナー| UT_GMO
subgraph ORG_AVANT["組織:アバントグループ"]
UT_AV(["津田良太郎
プロダクトエンジニア"])
AVANT[["見えない経営情報を可視化する
プロダクト"]]
UT_AV -->|開発| AVANT
end
UT_GMO -->|転職| UT_AV
OTHER[["Unreal/Godot
血統なし・別系統"]]
EV_WD -.->|空白を作る| UNITY
EV_WD -.->|空白を作る| OTHER
classDef utaro fill:#1d4ed8,color:#ffffff,stroke:#1e3a8a,stroke-width:1px;
classDef shirai fill:#7c3aed,color:#ffffff,stroke:#5b21b6,stroke-width:1px;
classDef will fill:#0891b2,color:#ffffff,stroke:#155e75,stroke-width:1px;
classDef laukee fill:#be123c,color:#ffffff,stroke:#881337,stroke-width:1px;
classDef billyard fill:#475569,color:#ffffff,stroke:#1e293b,stroke-width:1px;
classDef product fill:#047857,color:#ffffff,stroke:#064e3b,stroke-width:1px;
classDef event fill:#b45309,color:#ffffff,stroke:#78350f,stroke-width:1px;
class UT_KA,UT_GMO,UT_AV utaro;
class SH_CA,SH_CR,SH_KA shirai;
class WILL_CR,WILL_PC will;
class LK_CA,LK_CR,LK_LVP laukee;
class AB_CA,AB_CR billyard;
class VPL,RW,PC,UNITY,PC_GMO,OTHER,TE_KA,AVANT product;
class EV_EA,EV_WD,EV_SNAP,EV_RESELL event;
キャリア家系図なので普通の家系図に比べて登場するノードが多いです。組織(黄色い箱)、プロダクト(緑)、イベント(オレンジ)と人物を人物ごとにそれぞれの色で表しています。
同じ人物でも組織が変わると別の丸になります。細かく追わなくても大丈夫で、「一本の血が枝分かれしながら下りてくる」という流れだけ掴んでもらえれば十分です。
世代をたどる
曽祖父:VPL(1991)——「宣言的」という性質
いちばん上、曽祖父にあたるのは VPL というシステムです。1991年、キヤノンの研究部門で David Lau-Kee と Adam Billyard が書いた "VPL: An Active, Declarative Visual Programming System"。名前のとおり「宣言的(declarative)」なビジュアルプログラミングでした。
いまは、この「宣言的」という一語だけ頭の隅に置いておいてください。これがあとで、思わぬ形で戻ってきます。
祖父母:RenderWare——PS2世代を動かした覇者
その二人が1993年、キヤノンから興したのが Criterion Software です。ここで生まれたゲームエンジンが RenderWare。PS2世代を支えた伝説のゲームエンジンで、GTA や Burnout をはじめ約500タイトルを動かしたと言われるミドルウェアでした。私の祖父母にあたります。
2004年に EA が買収し、その後 RenderWare は市場から静かに退場していきます。この「いなくなった」という事実が、あとで効いてきます。
両親:白井研究室とPlayCanvasという「かなり近い血縁」
私の親にあたる血は二つあります。この二人は、いとこだの兄弟だのと言い出すとわけが分からなくなるのですが、ともかくかなり近い血縁でした。どちらも同じ祖父 RenderWare から出ていました。
片方は、神奈川工科大学の白井研究室。白井先生はキヤノン入社(1998)ののち、英 Criterion へ出向(2000〜)し、ゲーム開発ミドルウェアRenderWare の普及開発を担当されました。転職でも創業でもなく出向で、役割はエバンジェリズム。ご本人はこれを「日本の寿司職人に洋物のナイフを提案するような仕事」と表現されていました。帰任後、2010年から神奈川工科大の准教授になり、私は情報メディア学科に進学してProcessingなどで情報メディアを学んだ後に学部3年の頃からよく白井研究室に顔を出すようになり、4年で所属した学生でした。ここで専攻したのは娯楽に寄与するソフトウェア開発であるエンタテイメントシステム工学であり、ここから受け継いだのは、HCI と"普及"の血です。
もう片方は PlayCanvas。RenderWare チームのエンジニアだった Will Eastcott が2011年に創業した、WebGL 製のブラウザ向け3Dエンジンです。この PlayCanvas、のちに私自身が深く関わることになります。新卒で入ったGMOで、最初はサーバーやホスティングのエンジニアになると思っていたのですが、なぜかまずそこで私はゲーム開発ミドルウェアの輸入販売を行う社内ベンチャー組織に配属になりました。今思えば、エンタメ開発の学習をこれまでやってきていて、ミドルウェアの血が流れており、しかも開発ではなく普及も学ぶという研究室で学んだ専門性も活かせるということで、これは必然だったのかもしれません。
しかも、そこで私が入社する直前にGMOが日本での独占販売契約を結んだのがこのPlayCanvas社でした。新卒で入ったばかりの私は、運よく代理店という立場で最終的にこの製品の日本担当ディレクターまで務めることができました。
ゲームに限らず、クラウドや Web 表現、Web 上のリッチコンテンツ市場に、事業責任者(PdM)として触れられました。ここが私のビジネスの出発点でした。だからこの親から私が受け継いだのは、Web・クラウド・リアルタイム3Dの血です。
つまり私の両親は、片や普及と HCI、片やエンジンの実装という、同じ祖父から分かれた二本の枝でした。
外から入ってきた、経営の言葉
こう整理してみると、面白いことに気づきます。いまの私のハードスキルの中心である Web やクラウド、Web 表現の技術は、あとから自分で身につけたというより、親である GMO や PlayCanvas からの相続だったんだな、と。白井研究室で学んだ科学コミュニケーションやエンタテイメントシステムのスキルも合わせて、私はこの血を持って家を出ています。
そして30歳にして、私は初めての転職をしました。戦略コンサルを経て、経営管理ドメインのいまの会社へ。まったく新しい業界へ踏み出したこの瞬間が、たぶん、初めて親元を離れて独り立ちした瞬間だった気がします。(今回は主観モリモリの記事なので、"気がします"のまま押し通します。)
ここで新しく家に入った血が、管理会計とか戦略とか、いわゆるエンタメ側ではなくスーツ側の言葉です。これまでの家系には一滴もなかった血でした。
子:二つの血が混ざって出てきたもの
そして子です。親から来た「宣言的・リアルタイム・Web3D・普及」の血と、あとから血に入った「経営の言葉」。この二つが掛け合わさって、いま私は、経営管理まわりの——なかなかに扱いづらい——情報をどう見せるか、という可視化の仕組みづくりをしています。
相続した財産の使い回しではなく、二つの血が混ざって出てきた何か。ここが今回の棚卸で、ただ受け継いだわけでもなくこれから形にしていくべき自分の子であると再確認できた点が、自分でもいちばん面白かったところです。
叔父・兄弟、そして血のつながらない他人
家系図には、私以外の子孫も何人か載っています。
叔父の Unity。これは同じ祖父 RenderWare から、Lau-Kee の"資本の血"を通って出た別の枝です。彼は Criterion 売却後にゲーム系VCを共同創業し、Unity にも資本を通して関わっています(創業者ではありません)。その後 IPO して、大きくなりました。私の今のフィールドからは、正直あまり直接の関わりはありません。見てはいるけどね、くらいの距離感。この"見てはいるけど絡まない"感じが、まさに叔父っぽいなと思います。
兄弟の XR/メタバース。これは私と同じ両親(PlayCanvas の WebXR や、白井研の VR エンタテイメントシステム)から出た、もう一人の子です。むしろ白井先生は白井研究室を畳まれた後は GREE VR Studio Lab にジョインされメタバースが本業でしたから、家業をまっすぐ継いだのは兄弟のほう。ここまでの系譜がわりとエンタメ寄りなのに対して、経営管理みたいなロジカルな方へ流れた私は、家系の中ではちょっと異分子な気がしています。
最後に、血のつながらない他人。Unreal や Godot は、RenderWare が退場して空いた市場の空白に入ってきた別系統で、私の家とは血縁がありません。「RenderWare マフィアがいまの3Dを支配している」的な神話をたまに見かけますが、少なくとも直系は PlayCanvas 一本、親戚が Unity——というのが、今回AIと一緒に調べてみて分かったところです。
子から親へ——GMOとその次のあいだ
GMO にいた頃までの私は、まだ完全に"子"でした。両親から相続した Web3D・HCI・普及という財産を握って、"よその家のエンジン"である PlayCanvas を日本で扱っていた。これは私をずいぶん成長させてくれたし、ビジネスの経験もたっぷり積めました。ただ、私が何かを生み出したというより、親の資産を使って、慣れた文化圏のなかでいろいろやらせてもらった、という子としての関わり方だったなと思います。新卒のファーストキャリアとしては、最高に良かったです。
一方で、転職してからは新しい土壌に自分が相続してきた職能をなじませていく作業をしています。教わった技術を用いてよその武器を配る側から、自分のノウハウを結びつけ生み出したものを自分にとって未知の市場へ推し進めていく側へ。これはもう、子ではなく親の関わり方だよなと思います。気づけば、あの時の別ドメインへの転職が私が親になるトリガでした。
なぜそっちへ流れたのか——たぶん、たまたま
なんでエンタメの家系から、経営管理みたいな方へ流れたのか。理屈をつけようと思えばつけられます。でも正直に言うと、たぶん"たまたま"の積み重ねです。
たまたま学生時代から関わってきたのがエンタメ寄りの技術で、たまたま初めて転職した先がスーツ系の業界で、たまたまその二つが、自分のなかで噛み合いそうだった。——といっても、これが本当に強みになるのかは、まだ仮説の段階です。
ルーツを下げるつもりも、どの選択が正解だったと裁くつもりもありません。ただ、違う血がひとつ入ったことで、これまでの家系には無かった組み合わせになった。それだけは確かかな、と思っています。
三世代ぶりの再発現——「宣言的」の隔世遺伝
ひとつだけ、調べていてちょっと面白かった話があります。
曽祖父 VPL(1991)は、名前のとおり"宣言的(declarative)"なシステムでした。ところがそのあと、祖父 RenderWare や親 PlayCanvas の代では、この"宣言的"という性質は表に出てきません。AIに聞いてみたところ当時のゲームを作りきるには宣言的なシステムではそうそうに限界が来て、RenderWareの時点で手続き型に流れていったということでした。そうしてゲームエンジンの世界は長いこと手続き的(imperative)——ゲームループを回して、状態を書き換えて、"どう動かすか(how)"をひたすら書く文化——だったからです。
その"宣言的"が、いまの私が構築している仕組みのなかに、三世代ぶりにひょっこり戻ってきていました。私は曽祖父 VPLの論文を読んで受け継いだわけではありません。誰にも教わらず、"何をしたいか(what)"と"どう実現するか(how)"を分けて、構造を後から当てはめるのではなく生成する、というやり方にたどり着いていただけなのでただの偶然です。ただ、今回AIに調べてもらって辿ってみると曽祖父も同じことを言っていたのかと知って、これは私の思いつきではなく隔世遺伝だったのかなとおもったのです。
連続した相続ではなく、隔世遺伝。しかも、React 以降の"宣言的なやり方が広く勝った時代"と、たまたま噛み合った。眠っていた性質と、それを受け入れる時代とが、三世代ぶりに手を結んだ——と考えると、なんだか出来すぎていて面白いです。
おわりに
そんな感じで、キャリアを家系図にしてみたら、思いのほか面白かったし、頭の中もわりと整理できました。とりあえず分かったのは、自分はこのエンタメ寄りの文化圏から、ちょっと違うところに来たんだな、ということくらいです。
ここまでつらつら書きましたが、私以降の話——独り立ちしたとか、新しいものが生まれたとか——は、全部まだ私の視野からしか見えていないすなわち主観であって仮説でしかありません。この仮説をちゃんと検証して、主観から客観として世に見える形になり、いつか「あれは本当だった」と言えるようにしていきたいなと思います。



