かつての田舎は、集団主義で子育てをしていた
集団主義とは、個人を共同体に埋め込む原理です。一人ひとりの自由やプライバシーを差し出す代わりに、共同体が個人の面倒をみる。田舎の子育ては、長らくこの原理で回っていました。
三世代が同居し、少し行けば親戚がいる。送り迎えの手も、帰ってきた子を見ている目も、余るほどありました。地域には子どもが放課後に行ける場所があり、子育ては家族だけでなく地域全体でなんとなく担われていた。
ここで大事なのは、この「助け合い」と「見守り」が、集団主義という一つの原理の表と裏だったことです。誰の家の子が何をしているかを地域が知っていること。それは監視であると同時に、いざというとき助けが飛んでくる回路でもありました。見られることと助けられることは、同じ箱に一緒に入っていた。あとでまた、この箱に戻ってきます。
そこへ、個人主義が重なる
個人主義とは、一人ひとりが共同体からある程度自立した「個」として生きる考え方です。近代化のなかで、これは都会から広がり、現代では田舎でも当たり前の前提になりました。
たとえば共働き。いまは母親も一人の個として仕事を持つのが普通です。これは田舎でも変わりません。ごく当たり前の暮らし方です。
肝心なのは、この当たり前の個人主義が、前の章の集団主義と、田舎では同じ場所に同居していることです。母親が働きに出るのは、いまや当たり前。でも、その暮らしを、村の目はまだ見ている。
最近あの家は帰りが早いけど、仕事を変えたのかしら。もしかして辞めたのかしら。この前道で会ったとき化粧もしていなかったから、外に出る仕事じゃないのかしら。――働いても、働かなくても、どちらにしても見られている。多くの場合、そこに悪気はありません。それでも、個として生きるのが普通になった人が、共同体の目の下で暮らしている。この同居が、しんどさの入口です。
田舎は、二つの主義の悪いとこ取りになった
集団主義も個人主義も、それぞれ恩恵(もらえるもの)と負担(引き受けるもの)があるトレードオフです。田舎がいま何を拾い、何を落としたかを並べると、こうなります。
- 集団主義の恩恵=助け合い → 消えた
- 集団主義の負担=相互監視 → 残った
- 個人主義の恩恵=自由・プライバシー → 来ていない(監視が残っているから)
- 個人主義の負担=自己責任・孤立 → 来た(助けが消えたから)
田舎の子育ては、集団主義の負担(監視)と個人主義の負担(自己責任)だけを二重に背負い、集団主義の恩恵(助け)も個人主義の恩恵(自由)も、両方失っている。これが「悪いとこ取り」の正体です。ここで「悪い」というのは、誰かが悪いという意味ではありません。ただ、しんどい、という意味です。
都会は、集団主義から個人主義への対角線をまっすぐ辿りました。干渉されない自由を得るかわりに、助けも手放した。孤独だけれど、筋は通っている。いまの田舎は、その対角線を辿れませんでした。右上から左下へ降りるのではなく、横にずれた。見守りの高さはそのままに、助け合いの軸だけが抜けて、左上に落ちた。
なぜ、助け合いのほうが先に消えたのか
同じ集団主義の箱に入っていたのに、なぜ助け合いだけが先に死んだのか。答えは、たぶん維持コストの違いです。
助け合いには、身体のコストがかかります。人手、時間、そして近さ。誰かが実際に来て、時間を割いて、子どもをみる。かつては、「あそこは大変そうだ」という近所の心配が、そのまま「うちで子どもを預かろうか」という申し出につながっていました。心配する目と、助ける手は、同じ口から出ていた。でもこの手は、人口が減り、みんなが働くようになると、真っ先に成り立たなくなります。
一方、見守り――近所の目のほうは、情報のコストしかかかりません。誰が何をしているかを覚えて、たまに口にするだけ。人がまばらになっても、機能として生き残ってしまう。
だから、集団主義は綺麗には解体されませんでした。コストの高い部分(助け)から先に抜けて、安い部分(監視)だけが残った。かつて同じ口から出ていた心配と申し出のうち、申し出のほうだけが先に消えて、心配――いまではただの詮索に見えるもの――だけが残ったのです。
そこに、インフラの撤退が重なる
ここまでは、共同体の内側の話でした。最後にもう一枚、外側から刃が重なります。インフラの撤退です。
人口がある線を割ると、学校も、交通も、医療も、採算が合わなくなって物理的に引いていきます。子どもの数が減れば学校は統合され廃校になり、通学は伸び、送り出す起点も家の前から後退する。医療も遠い。たとえば病院。予約が電話でもWebでもなく、紙に名前を書く先着順のまま、という土地は珍しくありません。急な発熱があれば、まず親のどちらかが遠くの病院へ名前を書きに行く。その時点で、回らない一日が始まる。
これは気持ちの問題ではなく、距離とリソースの問題です。
内側で助けが抜けたところへ、外側から距離が伸びてくる。悪いとこ取りの上に、物理が乗る。
どこまで当てはまる話か
この構造がどこまで成り立つのか、線を引いておきます。
ここまで書いた全部がそのまま当てはまるのは、たぶん地域の小学校が廃校になるレベルの過疎地です。助けの消滅も、インフラの撤退も、そこまで人口が減って初めて全部そろう。そこまでではない土地には、全部はあてはまりません。
ただ、半分くらいなら当てはまる田舎は、もっと広いはずです。集団主義の村社会が残っているところに、共働きが当たり前になる個人主義の波が届き、そこそこ過疎化も進んで、昔なら余っていた見守りの手がもはや都会核家族と同じくらいのリソースぎりぎりまで細っている。そういう田舎の子育て世帯には、この構造のいくつかは効いている。全部そろっていなくても、「助けは細り、目は残る」という向きだけは、案外あちこちで起きていると思います。
だからこれは、「すべての田舎はこうだ」という話ではありません。過疎の度合いに応じて、この構造がどのくらい濃く出るか、というグラデーションの話です。今回はその濃い側の端を書きました。
外から見ている構造にすぎない
ここまで構造を並べてきましたが、私はこれを外から見ていただけです。通ってはいても、そこで子育てをしているわけではありません。名前をつけて整理できるのも、外にいるからでしょう。
二つの主義の移行の途中で、負担だけが二重に残っている土地がある。外から見えるのは、そこまでです。



