10年前の私が書いたもの
話を始める前に、一枚だけ古いものを見てもらいたいものがあります。
就活で悩んでいた12月,3月,6月,8月のぼくへ – 汗を流して飯が旨い
これは、私が大学4年生のときに書いた、就活で苦戦した記録です。10年前の記事です。いま読み返すと、文章はおぼつかないし、句読点も学生当時のカンマドットで語彙もなんだか荒々しく、かなり恥ずかしい書きぶりです。でも、当時これを書いたあと、同じように就活で悩んでいる後輩に紹介したら、けっこうな文章量なのにみんな最後まで読んでくれました。
なんで読んでもらえたんだろうと今になって考えると、たぶん全部自分の言葉で書いていたからだと思います。どこかで借りてきた就活論ではなく、自分が転んで、痛かったことだけを、時系列で正直に書いた。だから長くても認知負荷が低かったんだと思います。
そして、この記事を書いた10年前の私と、今この文章を書いている私は、言うほど変わっていません。物事の切り口も、大事にしている価値観も、ほとんど同じだと思います。就活記事の最後に「情報を鵜呑みにするな、自分の頭で考えろ」と書いていましたが、今も同じことを思っています。
ただ、変わったものが、ひとつだけあります。表現の仕方です。それが今回の記事の背骨になります。
ブログは、教わって書き始めました
私がブログを書き始めたのは、大学の研究室に入ってからでした。
指導教員だった白井先生から、日々の活動の内訳として「main 30%、sub 30%、hobby 30%、そしてblogging 10%」を徹底しなさい、と言われたのが最初です。なぜブログを書くことに10%割くのか、当時教わった細かい理屈は覚えていませんが、TwitterやFacebookのような流れて消えていくSNSと違って、ブログには後から辿れるアーカイブ性がある、という話だった気がします。書いて残すことの大切さは、ここで叩き込まれました。
研究室の共用サーバーに自分専用のWordPress環境を作ってもらって、好き勝手にいじり始めたのが、私のブログ人生の始まりです。初代ブログは「汗を流して飯が旨い」という名前でした。研究室が解散するときに更新は止まりましたが、白井先生が静的アーカイブとして残してくれているので、今でも読めます。さっき見てもらった就活記事も、そこにあります。
当時のブログの目的は、はっきりしていました。
- 同じ問題にハマった誰か(未来の自分を含む)に情報を届けること。
- 検索に自分が出てくる状態を作ること。
- 悔しいことがあったとき、それを構造化して吐き出すこと。
この3つでした。
ここで大事なのは、ブログを書くという習慣そのものは、私が自分で思いついたことではなく、先生から教わったものだったということです。これは後の話につながってきます。
教わった習慣が、自分の中で育っていった
就職してからも私はブログを持ち続けました。GMOに入った縁でロリポップのサーバーを契約して、自前のWordPressを立てました。二代目です。この頃はあまり記事を書いておらず、正直いちばん記憶が薄いのですが、その代わりにPlayCanvasで作品を作ったり、スライドを書いてプレゼンしたりと、Webサーバーはブログ以外の用途で主に使っていました。
そして2020年、Jamstackアーキテクチャに出会って、Nuxt.jsとmicroCMSで三代目を作りました。これが、今回作り直したこのブログです。
ここで、私にブログを教えてくれた白井先生の話をします。先生自身は研究室のWordPressの時代から、研究室を閉じる際に発信の場所をnoteへと移しています。管理コストの高いWordPressを維持管理し続けるよりもnoteに移ったほうが手軽で、読まれるプラットフォームでありメリットが多いのは明白なので、書くことに集中するならこれ以上の場所はなかなかないと思います。
当時WordPressの脆弱性問題や管理コストの話題も多く、同時にnoteやZenn,hatenaなとエンジニア向けブログサービスが多く登場してきたので、多くの人が自作ブログを閉じてプラットフォームに乗っかっていった頃だったなあと思います。
しかし、私は自作ブログから移行しませんでした。というより、移行できませんでした。
これは自分でも少し不思議でした。周りのエンジニアやブログの大切さを教えてくれた先生が身軽なnoteへ移ったのに、教わった側の自分は、なぜか自前のシステムを握りしめて離せなかったです。なんでだろう、と考えました。
今回この記事を書くにあたって、この問いについて深く考えてみたのですが、気づいたことがあります。
教わったときのブログと、そのとき私がすでに書き続けていたブログは、もはややっていることがだいぶ変わっていたんです。
教わった当初のブログは素朴でした。文章を書いて、写真を貼る。それで「書いて残す」は十分に達成できます。でも、私のブログはだんだん、それだけでは足りなくなっていきました。ページの中で3Dモデルが動いてほしくなったり、スライドを埋め込みたくなったり、数式を綺麗に書きたくなったり、講義の教材として記事の中でコードを実際に動かしたくなったり。
先生に教わった「書いて残す」という習慣は、私の中で、いつのまにか「表現して、実験して、届ける」というところまで膨らんでいたんです。noteに行けなかったのは、たぶんこの膨らみのせいでした。
なぜ、表現が膨らんだのか
ここが、今回いちばん書きたかったところです。
なぜ私のブログは、ただ文章を書くだけで満足できなくなったのか。答えははっきりしています。私が伝えたいと思う中身が、文章と写真だけでは、どうしても認知負荷が高すぎるからです。
具体例を出します。私は数年前にコロナにかかったとき、その記録をブログに書きました。
コロナやばすぎ
このとき私は、発熱、発汗、頭痛、喉の痛み、味覚障害……といった8つの症状が、発症から何日目にどれくらい辛かったのかを、折れ線グラフにしました。文章で「1日目は高熱で、2日目には発汗が始まって、でも頭痛は引いてきて、代わりに味覚が……」と書いても、複数の症状が絡み合って変化していく、あの感じは絶対に伝わりません。でもグラフにすれば、全部の症状の立ち上がりと収束が、一目で分かります。
高熱でうなされながら、私はグラフを描くコードを書いていました。今思うと少しおかしいのですが、当時の私は、この辛さをちゃんと伝えたい、伝えるためには動く表現が要る、と体が勝手に判断していたんだと思います。
これが答えでした。私が伝えたいものは、動いて、重なって、時間とともに変化する。それを文章と写真という静的な形に押し込めると、読む人の認知負荷が跳ね上がってしまう。だから私は、動くグラフが欲しかったし、数式が書きたかったし、リンクを文脈ごと見せるカードが欲しかった。
前回の技術編で「こんな機能を作りました」と紹介したものたち——記事の中でJavaScriptが動くこと、LaTeXで数式が組まれること、リンクがカードになること——は、どれも思いつきの趣味ではありませんでした。私が伝えたい中身が、そういう表現を必要としていたんです。中身が、表現を決めていました。
中身が媒体を決めた
そして、ここで自作の話につながります。
私が欲しくなった表現——ページの中で任意のコードが動く、数式がビルド時に組版される、リンクカードを自分の思うデザインで出す、パスワードで守った記事を講義で使う——これらは、noteやZennのような既製のプラットフォームでは、基本的に実現できません。あそこは「文章と画像を、綺麗に、手軽に」書く場所として最適化されていて、それはそれで素晴らしいのですが、私のやりたいこととは方向が違うんです。
つまり、こういう順番だったんだと思います。まず、伝えたい中身がある。その中身は、文章と写真では認知負荷が高すぎるので、動く表現や組版された数式を必要とする。そしてその表現は、既製のプラットフォームには収まらないので、自分で作るしかない。
中身が表現を決めて、表現が媒体を決めた。
flowchart TD
A["伝えたい中身
動いて・重なって・時間で変化する"] -->|"静的な文章と写真では認知負荷が高すぎる"| B["動く表現が要る
グラフ・数式・デモ・リンクカード"]
B -->|"既製プラットフォームには収まらない"| C["自分で媒体をつくる"]
※例えばこれもmermaid埋め込みで書いてます!こういう表現を入れたくなってしまうのです
「器」ではなく「媒体」と書きました。私は情報メディアを学んできた人間なので、この言葉を選びたくなります。器はただの入れ物ですが、媒体(メディア)は、中身を相手にどう伝えるかという働きそのものを指します。私にとってブログは、単に文章を入れておく箱ではなく、伝え方まで含めた媒体でした。だからこそ、中身が変われば、媒体そのものを作り替える必要があったんです。
自作は、目的ではありませんでした。かっこいいから自分でサーバーを持っているわけでも、意地でnoteを避けているわけでもありません。自分の伝えたいものに正直であろうとしたら、媒体まで自分で作ることになった、というだけの話なんです。
——と、いま偉そうに書いていますが、正直に言うと、最初からこう考えて自作を始めたわけではありません。「noteじゃ俺のやりたいことはできない、だから自作するぞ」なんて、当時はまったく思っていませんでした。ただ目の前の「これをこう見せたい」を一つずつ叶えていったら、気づいたら自分で媒体を作っていた、というのが実際のところです。すべてが揃ったいま振り返って、ようやく「ああ、出発点が中身だったから、行き着く先が自作になったんだな」と分かった、という順番でした。
そうやって振り返ってみると、私が自作している理由は、大きく二種類に整理できる気がします。
ひとつは、中身が表現を決めて、表現が媒体を決めたという、いわば演繹的な理由。伝えたいものから出発すると、論理を辿った先に自作がある、という話です。作っている最中は気づいていませんでしたが、筋道としてはこうなっていました。
もうひとつは、10年やってみて初めて分かった、帰納的な理由です。自前だからプラットフォームにコンテンツを人質に取られないし、その都合や思想に振り回されずに好き勝手書ける。過去の記事が、そのまま履歴書にも、実験場にもなる。そして何より、昔の自分が書いた記事に、今の自分や、どこかの誰かが助けられる。前回、6年前の製作日記がそのまま設計の記録(ADR)になっていた、と書きましたが、あれもまさにこの「自作して、全部残してきた」ことの、事前には予想もしなかった恩恵でした。
演繹のほうは作る前から筋が通っていた理由で、帰納のほうはやってみて初めて手に入った理由。方向は逆ですが、どちらも「自作でよかった」に行き着きます。ただ、始まりにあったのは、いつだって「これをどう伝えたら、分かりやすいか」という、たったひとつの問いでした。
それぞれの育ち方
これまでの多くの自作ブロガーはnoteへ行き、自分は自前のシステムに残った、という話をしました。この違いも、ここまで書いてきたことを踏まえると、腑に落ちます。
離れたのは「自作」であって、「書いて残す」という習慣そのものではありません。私が教わったblogging 10%は私の中でもちゃんと生きています。ただ、書いて残す内容が既存の表現では満足いかず、自作し続けることが残ったというのが私の育ち方だったのかなと思います。
多くのブロガーの書いて残す内容はきっとnoteという媒体がいちばん合っている。そして私の伝えたいものは、たまたま、自分で作った媒体を必要とした。どちらが正しいという話ではありません。中身が違えば、必要な媒体も違う。それだけのことでした。
思えば、10年前は、自前のサーバーやドメインを持っているのがエンジニアとして当たり前、みたいな空気がありました。でも今、自分でブログシステムを組んで運用している人は、ずいぶん少なくなった気がします。QiitaやZennやnoteがあれば十分で、実際それで足りることのほうが多い。それでも、と思うのです。自分の伝えたいものに既製の媒体が追いつかない人は、たぶんこれからも自分で作り続けるんだろうな、と。強いフロントエンドエンジニアが、今も自前のブログを持っていたりするのを見ると、たぶんそういうことなんじゃないかと思います。
10年やってみて、こうして振り返ってみると、私にとってのブログは、こういうことだったんだなと思います。
教わったのは「書いて残す」という習慣でした。でも、何を伝えたいか、どう伝えれば分かりやすいか——そればかり考えてきた結果、媒体まで自分で作ることになった。それは誰かに教わった答えではなくて、10年かけて、自分で見つけた答えでした。
そして、その「どう伝えれば分かりやすいか」を突き詰める仕事は、私が大学で情報メディアを専攻し「人はどう理解するか」を学びはじめて以来、ずっと変わらずやっていることでもあります。
結局のところ私は、自分のブログを手にずっと同じことをやっているだけなのかもしれません。



